ニヒリスト末期になるとどうなるのか ~ニヒリズム思考~

ニヒリズムという思想をご存じでしょうか

 

これは簡単に説明すると、

「世界のすべてのものに価値などなく、すべてがどうでもいい」

という考え方になります


縦文字にするとニヒリズム=「虚無主義」となるそうです
また、ニヒリズム的思想を持つ人のことをニヒリストと呼びます

 

今回はそんなニヒリズム思考に完全に侵されてしてしまった人間
骨の髄まで虚無に染まってしまった、「究極のニヒリスト」になるとどうなるのかを考えたいと思います!

 

[究極のニヒリストは堕落する]

ニヒリズムが行き過ぎた場合、大概は堕落した生活を送ることになるでしょう
ニヒリストにとって世の中のすべては無意味でくだらないものです


努力してお金を稼ぐことも、結婚して家庭を築くことも、、、、


どれも等しく価値が無い。


この世自体に価値が無いから、何をしたって価値は無い、という思考をします

 

とはいえ、そういってすべてを拒絶して何もしなかったら退屈です
なので、享楽にふけって、快楽に浸ることで退屈しのぎをするでしょう
これは言わば、死までのくだらない待ち時間を埋める作業です
そのように一番楽である、かつ快楽の得られる方法で暇をつぶすため、どんどん堕落すると考えられます

 

[究極のニヒリストは現実をゲームのように生きられる]

例えば、自由度が高くてなんでもできるゲームの仮想世界があるとします。
その世界の中で好きなことをしていい場合に、
そこでやりたくない仕事や勉強をやりだすようなキチガイはいないでしょう

ゲームの中なんだからやりたいことだけを自由気ままにすると思います


それは冒険をすることだったり、闘うことだったり、何かを作ることだったり
何かを壊したり殺すことだったり....

 

でも当然それはゲームの中だからできることです
現実世界でまでそこまで自分本位に生きることは難しいでしょう

ところが、究極の虚無主義者にとっては難しくないかもしれません
虚無主義者にとって、ゲームなどの仮想の世界も現実世界もその価値に大差はありません
彼ら彼女らに言わせれば、どちらの世界も総じて無価値です

両方とも同じように思い入れなどありません


なので、ゲームをプレイするような軽い感覚で、現実世界を生きることが可能だと考えられます
いわゆる「失うものが無い」、という状態です
現実の自分の体もコントローラーでキャラクターを動かすのと同じような、軽いノリで扱うことができるため、極めて雑に生きることが可能になるでしょう

ゲームを画面越しにプレイするように、現実世界も一歩引いた視点から見ることができるというわけですね

 

これは大変優れた客観視、俯瞰視の能力ともいえるかもしれません
前のめりにならないため、人間としては異常な程の、冷静さと合理性を扱えるかもしれません
まあ、ニヒリズム状態であれば、それを発揮したところで何かよろこびを得られることは無いと思いますが....

 

[やはり堕落する]
虚無主義者は「ゲームのように生きられる」と予想しますが、だからといってゲームの中のように好き放題、自分本位な行動を実際にしたりはしないでしょう
というのも、すべてがどうでもいいんだから、行動して何かを得るという行為に価値を感じないであろうからです

自分をゲームのキャラクターと同じくらい粗末に扱って、危険を冒してみたり、乱痴気騒ぎしてみたり、罪を犯してみても、そもそもそれ自体に意味を見出せません
「めんどくさい」の一言で終わってしまうことでしょう
そんな暇の潰し方をするよりも、寝っ転がって酒でも飲んだり、薬物をやったりした方が楽ですからね


どうせすべて意味が無いんだったら最も楽に死というゴールまで行くのが、一番得だ。と、いうことです。


危険を冒したり、罪を犯して暇をつぶしても、得られるものが無いくせして、怪我をしたり牢屋に入れられるリスクだけはあるから、わざわざ事を起こす必要は無いのです

 

[ニヒリズムサディズムで悪魔が生まれる]
究極の虚無主義者は堕落一辺倒で、ずっと寝ているような生活スタイルになる可能性が高いと前述させていただきました

ですが、この「究極の虚無主義」、に、「罪を犯すことに愉悦を覚える」という特徴がプラスされると、それよりも遥かにまずいことになります
虚無主義者は

「ゲームをするような軽い感覚でなんでもすることができるが、行動すること自体はめんどうでならない


では、もし罪を犯すことが、行動することのめんどうくささを上回る程の悦びと感じる人間が虚無主義者だったらどうでしょう
ゲームをするように現実世界をプレイできるので、普通の人にあるような罪を犯すことに対する抵抗や罪悪感を抱きません

その上、罪を犯すことが快楽となれば、躊躇いなくこの世を荒らすことでしょう


罪の内容は窃盗か、暴行か、殺人か、、、は分かりませんが、
そんな災いを条件なく振りまくような存在になることが予想されます

 

現代の言葉でいえば「サイコパス」ですね
上記から、サイコパスにはニヒリズム的な価値観が入っているのでは、と僕は勝手に思っております

 

でも、サイコパスという言い方よりも「悪魔」と呼んだ方がかっこいいので、
「究極の虚無主義」+「罪を犯すことに愉悦を覚える」という2つの性格を併せ持った存在のことは「悪魔」と呼びたいと思います

 

[締め]

ニヒリズムは生きるのが楽になる場合もありますが、過剰摂取は注意ですね

 

あと、今回のように考えると、殺人鬼の思考がやや予想できなくもない気がしてこないでしょうか

そうだったら幸いです

 

以上です

人間の生きる意味が無い理由 ~ニヒリズム思考~

高校の頃、倫理の教科を習っておりました
その時に出てきた問題に


「あなたの生きる意味はなんですか?」


とかいうものがありまして。
もちろんこんな問題には、〇とか×か付けられないことは出題者側も承知の上でしょう。
解答欄を埋めさえすればよかったんだと思います。

 

しかし、残念ながら頭を捻っても答えが出ませんでした。
というのと、なんか上から目線な態度が気に触ったので、未回答にしてやりました!

でも、僕以外の多くの人間も同じようなかんじで、そんなもん分からないと思うんですよね。
宗教を信仰していたり、スピリチュアルを信じていない限りは、生きる意味が明確にある方がレアな人だと思います。

 

そんな口を開けるレアな人種らは
「人の役に立つため」
とか
「自己成長のため」
とか高尚なことを言ってのけるかもしれません。

 

もしくは
「パチンコ打つため」
「二次元の嫁、又は夫のため」
と、快楽をそのまま幸福としてしまったり。

 

はたまた
「死ぬのが怖いから」
「神が許さないから」
みたいな後ろ向きな見解、などなど。
十人十色なことでしょう。

 

でも、これらの意見はすべて正しい。
先程も申した通り、この問題に正しいも間違いもありません。
今回の問いは「あなたの生きる意味は何か」であり、「あなたの」つまり主観のみに焦点が当たっています。
ということは、自分の思っていることをそのまま答えれば何でも正解。
例えもし人の意見が気に食わなくとも、他人がそれに×を付けることはできません。

 

では、ここで変化を加えてみましょう。
上記の問題の主語は「あなたの」ですが、これを「人間の」に変えてみます。


「人間の生きる意味は何か」です


念のため申しますと、ここでいう「人間」とはこの世に存在する全人類のことを指します。

こうなると誰か一人の意見のみでは片づけられなくなりますね。
個人個人の価値観のみでの回答では無理が生じるでしょう。
全人類が「人の役に立ちたい」とか「二次元のキャラを拝みたい」。

そのために生きているんだ....!
なんて、口を合わせていうことはありえそうにありません。

となると、世界全体を見回して、
生物学や、自然の摂理的な話を持ち出す必要性がありそうです。

 

そこで、よく上げられるのは、

「地球のエネルギーの循環のため」

そのために生物は生きている

というものでしょう。

つまり、生物は地球をつくるためのパーツである。
言い換えれば、我々が生きているのは地球が存在するためです。
それが一番しっくりきますね。

 

「人間が生きている理由」=「地球が存在するため」

 

これで人間の生きる意味が見つかった!
よかったよかった

....とは残念ながらなりません。

今度は地球が存在する意味が分からない問題が発生します。
もし、それが分からなければ、イコールでつながっている人間の生きる意味も無に戻ってしまいます。


それでは地球の存在理由はなんでしょうか。
うーん。多分、生物が地球のパーツであるように、地球も宇宙のパーツなのでしょう。
この世を、宇宙を形作るのに必要なのではないでしょうか。

 

つまり
「地球が存在する意味」=「宇宙が存在するため」

 

でも、じゃあ、宇宙が存在する意味ってなんでしょうか....

 

残念ながらここで頭打ちのようです。
宇宙が存在する理由が思いつきません。
宇宙とはその果てを知らない人類にとって、最大規模の単位になるでしょう。

現状では世界そのものといえます。

故にここでの問いは、


「この世界が存在している必要性はなんですか?」


という、飛躍したものとなっています。

こんな問題には、誰もが納得するような、絶対的な答えを出すのは不可能でしょう。それができたら神の所業です。
いや、神でもそんなことできるのか?

 

それに、この世界が存在しておらず、無であろうが、この世に住んでいる我々は誰一人困りません。

ということで、この世界が、宇宙が存在している必要性は無いといえます。

 

こうなるとすべてが無意味と化します。
人間の生きる意味から始まりましたが、最終的にはこの世のすべてに、何の意味も無いということに帰結することとなるでしょう。

 

「人間が生きている」=「地球が存在する」=「宇宙が存在する」=無意味

 

となるためです。

この世界という最大規模でさえ存在意義が無い。
故に、その中にあるすべてのものにも意味なんて無いということになります。
この世は意味を成さないガラクタです。

そんなガラクタから作られた、地球も、生物も、人間も......
当然すべてガラクタ以下の無価値な代物というわけです。

 

もちろん、前述のとおり各々が自分なりの生きる意味を見出すことは可能です。
ただ、それは無意味という土台の上に、便宜的な、あくまで仮の意味付けを行う行為になります。
仮であるため、どんなにつよく意思を持っていても、崩れる可能性が無いとはいいきれません。

絶対的な生きる意味が無い以上、限界まで突き詰めていった場合には、人間の生きる意味は無いといえます。

 

 

どうせ意味が無いのであれば気楽に生きることを提案させていただきます。

 

以上です

 

コミュ障が社会人イベントの自己紹介で苦悶する話 [日記]

たまに人と喋らないと、左脳の言語を作る部分が衰える気がする。
ということで、今回は社会人向けの読書会イベントに参加した。

 

なぜ読書会なのかというと、単純に僕が毎日、本を読むからというのが一点。

もう一点は、僕のような変人の同族が来ると予見したからだ。
YouTubeTwitter、ゲーム、ネットフリックスなどなど....
現代には数々の魅力的なデジタルコンテンツがある。

そんな中、わざわざ本を選んで、好んで時間を使うような人間とはさぞ気が合うことだろう。

 

とはいえ、僕は重度のコミュ障だ。
初対面の人と話す場合のストレスは計り知れない。
なので、今回みたいな場合は、己を炎へなげうつ覚悟が必要である。

当日

てなわけで当日になった。
場所は普通のカフェ。
僕は大物感を出すため(道に迷って)現地に遅れて着いたためすでに僕以外の参加者は揃っていた。
人数は僕を入れて4人。僕の他に主催者が1人と、参加者の方が2人。
年齢層はみなさん僕より一回りくらい年上みたいだ。
まあこちらは19の小僧で、ここは社会人向けのイベントなので当然かもしない

そそくさと買ったコーヒーをもって席に座り、参加者さんと軽く会釈。
早速読書会が始まった

主催者の方が言う


「それじゃあ、まず、順番に自己紹介をお願いします」

 

その瞬間、僕の体に激震が走る。
心臓がフルスロットで動き出し、思考は一瞬で凍りつき重く鈍くなる。
体は硬直し、骨や内臓にバイブレーション機能があるかの如く、全身がガタガタと震えだす。

ごく一般的な緊張反応....

だが、それにしては僕のものはやはり少し過剰だ。

 

思い返せばいつだってそうだった
学校であれ、仕事であれ、すべてはこの一言から始まる。
だからその一言を聞くと、無意識レベルで地獄を連想し、背中に戦慄が走るのだ。

 

自己紹介なんてした記憶は遠い過去。
そして当然、今日のために考えておいた、なんて戦略的な動きも取っていない。

だが、不幸中の幸いか。前には2人いて、僕の順番は3番手。これなら少しは時間がある。
その時間で話せるように思考をまとめておく。なおかつ、ある程度の平静を取り戻しておきたいところだ。
一番手の人が話し出す。一人目は25歳くらいの女性だ。
...........
見事なトーク力だ....
長く、内容が濃い。だがそれでいて簡潔で洗礼されている。
淀みが無く、流れるような発言だ。
このレベルの自己紹介ができるのは少数派だろう。
だが、そんなハイレベルな言葉たちは今の僕に対しては冷たいものだ。まるで脳を凍りつかせる液体窒素に思える。
のしかかってくるプレッシャーが破格なのだ。

その後にある自分の番からさらに目を背けたくなる。
簡単には手の届かない、圧倒的なもの見せつけられた。

 

その後は不甲斐ないことに、しばらく何も考えることができなかった。立石に水な彼女を前にただ硬直していただけとなってしまっていた。
そして一番手の自己紹介が終わってしまう。

 

次に二番手の人が話し出す。こちらは男性。やはり25歳くらい。
トーク力のレベルは、先ほどの自信のある表情から察していたが、一番手の彼女と同じような感じで話に慣れてらっしゃる。
自信をもって、ある程度長々と自分のことについて語っている
そして2人とも、IT企業でどうたらとか、SEだとか、横文字職業のエリートらしい。
読書会という意識の高いイベントなので予想はしていたが、ちょっと面子が強すぎる。
僕は若輩ニート重篤コミュ障のため、その力の差に畏怖と畏敬の念を抱いた。

 

さて、困ったな。
頭の回転と反比例して上がっていく心臓の動悸。

それをなんとか鎮めようと呼吸法、瞑想、自己暗示を試みる。
だが、そんなものでどうにかなればコミュ障なんて言葉は存在しない。
当然、体の緊張反応から解放されるはずはなかった。

多少適当でもいいから何か言葉をひねり出さねば。


(そういえば2人とも、自分の仕事を話して、その後趣味を話すというようなスタイルをとっていた
.....その流れに乗らせていただこうか)

と、考えて腕を組み始めた後にはもう2番手の人の自己紹介も終わっていた


次は僕の番だ
「それじゃあ、次お願いします」
そう言って主催者がこちらに手をかざすと、全員の目がこちらに集まる。
その複数の視線に射抜かれて3、4秒。体感にして10秒程硬直してしまった。
体を解凍するように、一度呼吸をし、体内に空気を回す。
脳にも酸素を送り稼働を促す。
(皆さんのスタイルに乗ずるなら、まずは職業からだ)
そう思い、ゆっくりと口を開いた
「(電脳ぷりん)です。仕事は....していません」
.....
あーあ、とまってしまった。まあ案の定といえば、悲しいがそうだろう。
全体の雰囲気を確認すると着地点を見失ったが故の動揺、今までの流れがせき止められたが故の揺らぎ、みたいなものが空気中に充満していた。
つまり、微妙な空気だ。
うーん、でもこれ以上喋ることはない。
というか、頭は現状ほぼ真っ白。この重要な局面で脳は仕事を放棄してしてしまったようだ。
しかもなんだかフワフワして気持ちがいい....
限界まで走った後に何も考えず地面に転がり込む時のような....そんな感覚に近い
呆れたことにまだ走り出してすらいないというのに。スタートラインにたっただけだというのに。

........もうどうしようもないからそれをそのまま伝えようかな。
頭が動かないから仕方ない....それしかできそうにない....
「すみません...あんまり話せるようなことなくて....」

はぁ....僕はなんでいつもこうなんだろう....
いつも初対面というだけで、動けなくなり黙る。
口が動いたかと思えば、出てくるのは小学生程度の発言ばかり。


けど、まあ考え方を変えればよくも悪くもいつもこうなんだよな。
だから、ポジティブに捉えれば今回が特別悪かったわけじゃない。
今回もいつも通りをやっただけ。
むしろ喋れただけ良かった?
そうだよ喋れただけでよかったんだ!?
と、緊張の受け入れキャパを越えて、バカになっていると、見かねた主催者の方が
「えーっと、ここに参加してくれたきっかけとかありますか?」
と助け船を出してくださった。

僕はそれに飛び乗る。
「最近家族以外と話さないので、人と話すことのリハビリができたらと思いまして....よろしくお願いします!」

「はい、じゃあ今日は沢山話してくださーい」

.....締まった!
なんとかなった、のか?
僕が喋った後は参加者の方々も「よろしくー」と反応して下さった。
おかげで動悸も体の震えも2割引きくらいになってくれた。
皆さんのフォローにより大変救われる結果となった。

 

その後も動悸と震えは続き、床に倒れこみたくなる時もあり。
次の日は過度な疲労で体が鉛のようになり布団から動けなくなった。
しかし、それでもなんとか皆さんの温かな対応により楽しいイベントになった。
僕ももしコミュ障がなおったら、コミュ障を救える人間になりたいと思った。

めでたしめでたし